1991年のブエノスアイレス

IPSA (International Political Science Association) Buenos Aires 2023参加者からの便りが、フェイスブックのニュースフィードに上がってきます。私も、IPSA Buenos Aires 1991に参加しました。行程は、大阪(東京?)ロス、マイアミ、サンパウロブエノスアイレスだったような。村松岐夫先生とずっと同席で、前の席には猪口孝先生が座っていらっしゃって、隣席の人と仲良くなったりしていました。

ヨーロッパからもアメリカからも遠い(日本からが一番多い)ということで、報告する人が全然来ない状態で、私(と村松先生?、これも覚えていない)以外には、Purnendra Jain先生だけ、報告者数人欠席、フロアもほとんどいなかったのですが、Gregory Kasza先生がいてくださったので、なんとかセッションの形になりました。

Kasza先生はスペイン語もできたので、その後お店に行った時に、店員にseñorと呼び掛けている姿をよく覚えています。彼にアルゼンチン・タンゴのショーの切符を取ってもらったり、市内観光のバスに乗せてもらったりしました。後年、東京での研究会で再会したときに、もう一度お礼が言え、福祉国家の論文では、彼の One World of Welfare: Japan in Comparative Perspectiveを大変参考にさせていただいています。

現地では、ハイパーインフレの後で、1ドルが1万アウストラルだったでしょうか。皮ジャケットを買ったのですが、200万アウストラルだったので、帰国後、「これ200万」と言って自慢したりしてました。

牛肉は安く、観光客向けのレストランに入って20$くらいのステーキを注文したら、特大が2枚置かれていて、一緒に行ったアメリカ人先生が頭を抱えていました。ここで登場するのが薮野祐三先生で、彼に誘われて、観光客向けでなくて地元のレストランへ行こうということになりました。で、量は倍ではなかったですが、たしか100円とか200円だったように覚えています。

アルゼンチンを土曜に発ち、日本に帰ってきたのは月曜日ということで、日曜日がどこかへ行ってしまいました。

で、私の学会報告、最初がIPSA(世界政治学会)、次が日本政治学会、3つ目が日本行政学会で、その行政学会で、私の学会報告、だんだん小さくなっていますというギャグを飛ばしたつもりが、なんということをいうのだ、と怒られてしまいました。大丈夫、その後、理事長になれました。